さまざまな人が交差する渋谷では、今日も、人の数だけ興味深いドラマが繰り広げられている。出会い、別れ、喜び、不安に満ちた街にも関わらず、つい足が向かってしまうのはなぜなのだろう?
人と会いたくなる街「渋谷」で繰り広げられる様々な人間関係を、読み切り連載で
ライター 前田紀至子がお届けいたします。
奥渋谷にあるその小さな映画館では、100パーセントと言い切っても良いほどいつも気の利いた映画が上映されている。
その日私が観た映画も、珍しくと言っては何だけれど隙も欠点も無いパーフェクトなラブストーリーだった。上映後、甘いムードに浮かされながら私はすぐ隣にあるカフェに足を踏み入れた。
もしも時間に余裕があって映画の余韻に浸りたくなったなら、私はいつもこの映画館に併設されているカフェに立ち寄ることにしている。
世界中の作品を配給している映画館らしく、国籍をごちゃ混ぜにしたようなありとあらゆる飲み物や食べ物が揃っているから現実世界へのモラトリアムを少しだけ延ばしてくれるところが好い。
そうして私は暑い日に御誂え向きの「ジャマイカ風自家製ジンジャーエール」と「豆乳杏仁」を店員さんに注文するなり、コースターにプリントされているジェームス・ブラウンのドキュメンタリー予告に視線を落とした。
その瞬間のことだった。
「ねぇ、監督はどう思った?ラストのキスシーン」
キス、という言葉に思わず反応して何事かと視線を上げると、ボックス型になっている半個室で二人の男女が頬杖をついて見つめ合っていた。髪をセンター分けにして丸っこいメガネを掛けたその男性にはどこか見覚えがある。一瞬、知り合いかしら?と思ったものの、よくよく考えると私が十代の頃一番好きだった映画の監督だった。
女性の方はその洗練された身なりや整った造詣から推察するに恐らく女優なのだろう。目の前の光景はもしかしたらスクープなのかもしれない。だけど誰なのかが分からない。私は思わず自分のテレビや芸能に対する疎さを恨んだ。
「そうだね…もし僕だったら、キスの後に台詞を入れるかな」
私は下を向いてジンジャーエールを吸い込みながら、ラストのキスシーンを反芻した。
あれはあれで十分完成されたシーンな気がしたけれど・・矢張りプロが考えることは違うらしい。
「監督って面白いこと言うのね」
「だって、キミなら絶対キスをしたきりで終えないだろう、きっと言う」
「そうね…私なら。」
女性は私と同じジンジャーエールをひと啜りした後、とびきり甘い声を出した。
「そういうところ、好きよ?って言った後、もう一度キスをするかしら」
そうして二人はもう一度目を合わせ、美しく微笑み合った。
どうやら映画の後は、余韻を愉しむに限るらしい。
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ライター:前田紀至子(まえだ・きしこ)
フェリス女学院大学文学部卒。
新潮社nicola専属モデルや光文社JJのライターを務めた後、フリーに。
現在は雑誌やウェブでの記事執筆の傍ら、自身も雑誌やテレビなどに出演も。
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