【連載 短編小説】シブヤ関係 第11回 「ホットチョコレートより甘い、あの記憶」

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さまざまな人が交差する渋谷では、今日も、人の数だけ興味深いドラマが繰り広げられている。出会い、別れ、喜び、不安に満ちた街にも関わらず、つい足が向かってしまうのはなぜなのだろう?
人と会いたくなる街「渋谷」で繰り広げられる様々な人間関係を、読み切り連載でライター 前田紀至子がお届けいたします。

渋谷 ホットチョコレート

メルトン素材のコートに腕を通す頃、無条件に飲みたくなる飲み物がある。
そうして私は冬の間じゅう、それを飲むために渋谷駅のすぐ裏にあるチョコレート屋さんに通いつめる。

「ホットチョコレートドリンク」。その言葉を聞くだけで、長く厳しい冬の訪れだってとてつもなく煌めいたもののように感じるのだからチョコレートの魔力というのは凄い。大抵私は店員さんの「お持ち帰りですか?」という問いに頷き、中身同様になめらかなブラウンをしたカップ片手に渋谷の街を歩く。

渋谷 ホットチョコレート

その日も私はいつものように店員さんの言葉に頷いて、カップ片手に店を出ようとしたのだった。出口付近に並ぶリンドールと呼ばれる丸いチョコレートを一つ二つ買おうかな、と横目で見ていたその時。

「○○ちゃん?」
突然呼ばれた名前に小さく驚き、振り返った私は、更なる驚きで肩を震わせた。その人は私が今までの人生で一番好きになった人だったのだから。

「もう二度と会うことは無いと思っていた相手との不意な邂逅だなんて、それもまた渋谷らしい」
そんなふうに思いながら私はカフェの三階に腰を下ろしていた。男と向き合いながら。

特に話すことはない。話したいことはない。それでも私たちは無意識に会話を進める。残念ながらたとえ口を開かずとも、相手が何を言いたいのかは手に取るように分かる。それほどまでに私たちは長い年月を一緒に過ごした。冬になればホットチョコレートが飲みたくなる習慣も私たちの間には当たり前のように染み付いている。

「そういえばさ、一緒にパリで飲んだホットチョコレート、懐かしいね」
男が目を細めながら呟いた。口ぶりからして、彼にとって美しい思い出のまま保存されているのだろう。私という名前のフォルダの中の一つとして。

「そうだった?兎に角寒かった。とっても」

咄嗟に嘘を吐いてしまった。本当はよく覚えている。鼻血が出そうに濃い、真冬の口づけのようなホットチョコレートの味を。それでも私はその思い出をわざわざ掬い上げて語りたいとは思わなかった。過去は過去として、そっと閉まっておきたい。弄うことなく。

渋谷 ホットチョコレート

「私、飲み終わったからもう行くね」

「相変わらずマイペースだね。よかったらまた飯でも」

苦笑いされながら投げかけられた問いに対して、結局私は一言も答えなかった。苦笑いだけを投げ返して。中身を飲み干して空になったカップは手の中で少し寂しげに縒れていた。

前田紀至子

ライター:前田紀至子(まえだ・きしこ)
フェリス女学院大学文学部卒。
新潮社nicola専属モデルや光文社JJのライターを務めた後、フリーに。
現在は雑誌やウェブでの記事執筆の傍ら、自身も雑誌やテレビなどに出演も。

■シブヤ関係 第10回 「僕だって甘いフルーツパフェが食べたい」
■シブヤ関係 第9回 「今夜、あなたとエスプレッソを」
■シブヤ関係 第8回 「美しい終わりは、音が聞こえる。」

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