ディア・ロストマン|Day5|彼女もまた、失った。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Twitterフォロワー8万人を超える人気ライター・カツセマサヒコ氏による、7日連続公開の超短編小説。忙しなく生きる人たちに送る、電車一駅ぶんの物語。

カツセマサヒコ

(五日目)
+++1/3+++
「帰るって何。どゆこと?」
トモからのLINEが届いたのは、羽田空港へ向かうタクシーの中だった。鋭い文面を見て、一瞬LINEのフォントが変更されたのかと思った。スタンプや絵文字がなくとも、怒っていることだけは伝わった。
「いや、別に。もう帰ろうかなって」
言いたいことはいろいろあった。東京を離れる理由のほとんどにトモが関係していることも、僕との連載が半端に終わった原因が誰にあるのかも、気を許すと全て毒づきながら吐き出してしまいそうだった。
「仕事は?」
「大体片付いたから、あとは鹿児島で適当に探すつもり」
「なんで? そんなんでいいの?」
「そんなんって、何?」
自分のことはなんでも勝手に決めるくせに、近しい人のこととなると朝食すら勝手に決めさせてはくれない人だった。帰郷することをトモに言わなかったのは、僕ができるせめてもの嫌がらせのつもりだった。

「俺の人生だから俺が決めてよくない?」
「トモに全部話さなきゃいけないんだっけ?」
「そもそも先に出ていくことを決めたのは、トモじゃない?」

指先の動きを止められなくなった。何日も殺そうと試みた醜い感情は、日を追うごとに息絶えるどころか躍動感を増し、この瞬間、とうとう僕から飛び出した。

「そんなこと思ってたんだ」

その一言のあと、スタンプがひとつ押された。トモが自作した、スエヒロさんに似た顔をしたクマのスタンプ。背中を向けているイラストのそれが押されると、会話は終わった。怒りを露わにしたやりとりは、またしても言葉ではなく、トモの画によって終止符を打った。

+++2/3+++
鹿児島空港に到着した飛行機を降りると、世界は一気にスピードを落とした。
空港まで迎えに来た父親の車に乗ると、2時間ほど離れた実家まで、延々と似たような景色を走った。
多少のアップダウンはあっても、大きな変化は訪れない。一歩進むたびネオンが揺れる道玄坂の街並とはまるで違うこの景色が、僕の故郷であることに違いなかった。

近所の人と擦れ違う度にかけられる「おかえり」の一言に「ただいま」と答える。その度、あのシャンダンの匂いに包まれた部屋の記憶がモゾモゾと動いて顔を出す。
「ただいま」を言う相手は、東京じゃひとりしかいなかった。
それを思い返す度、親指の爪を人差し指に突き立てて、僕はどうにか気持ちを鎮める。

+++3/3+++
まるで薬物中毒患者のように、過去から抜け出すことに時間をかけた。
あの部屋の匂いが染みついた服は何度でも洗い、あの街に似たような傾斜の坂道は、できるだけ通らないようにした。

そうして東京の騒音がようやく耳から抜け始めたのは、帰郷して9カ月が経ち、全国紙で「有名脚本家、Web漫画家と不倫」という見出しを発見しても、さして動じずにいられたことに気付いてからだった。

見出しをみて、一瞬全てが振り出しに戻りそうだった。でも、僕は僕の決断でここにいて、彼女は彼女の決断で東京に、あの脚本家の横にいることは違いなかった。たとえ彼女が何かを失っても、それはまた彼女の決断だったのだと、達観している僕がいた。

ゆっくりと時間が流れる。
このまま大きな分岐点を迎えることもなく、東京よりも広い空に昇り沈む日を眺めて死ぬのも、悪くないと思っていた。

新聞の報道から3カ月後の春。
スエヒロさんが交通事故で亡くなったという連絡を聞くまでは。

※次回は4月17日(月)更新です。

(プロフィール)
カツセマサヒコ
フリーランスのライター・編集者。広告記事、取材記事、コラム、エッセイ、Web小説などの企画・執筆を中心に活動している。Twitter:@katsuse_m

撮影:Shinsuke Yasui
デザイン:Haruka Nakamura

ディア・ロストマン|Day1|タクシーは首都高を走る
ディア・ロストマン|Day2|お前らそこで、漫画書け
ディア・ロストマン|Day3|需要と供給の関係性
ディア・ロストマン|Day4|俺たちは日々、言葉を失っていくんだ
ディア・ロストマン|Day5|彼女もまた、失った。
ディア・ロストマン|Day6|わたしたちが笑えば。

ディア・ロストマン|Day7|末広がりの需要と供給

※記事の内容は公開時点の情報です。価格等の情報については変更している可能性がありますのでご了承ください。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加