「渋谷の物語は終わらない」音楽ジャーナリスト・柴那典が語る街の音楽文化論

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渋谷に関わるキーパーソンにお会いして、渋谷発の新たな文化の潮流に迫るこのインタビュー。今回は渋谷に流れる都市型ポップスの系譜を歴史、人、音楽、ファッションから解き明かす『渋谷音楽図鑑』(太田出版/著・牧村憲一、藤井丈司、柴那典)の著者のひとりであるこちらの方にお話を聞いてきました。

▼柴那典(しば・とものり)
1976年、神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、ウェブ、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)など。

『渋谷音楽図鑑』は、渋谷生まれ渋谷育ちの音楽プロデューサーで、大瀧詠一や細野晴臣、シュガー・ベイブやフリッパーズ・ギターといった名だたるアーティストと仕事をしてきた生きる伝説、牧村憲一さんの個人史から渋谷のポップス50年史をたどるもの。

柴さんが聞き書きをした牧村さんの言葉は、これ以上の語り手はいないだろうと思わせるほどの読み応えなのですが、それと同じくらい、三人の著者がそれぞれの役割で渋谷の音楽を未来につなげようと対談形式で言葉を交えていくのが印象的な一冊です。

▼渋谷音楽図鑑
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50年なんて、渋谷のポップスにそんな歴史があるの!? 知ってるのは90年代の「渋谷系」くらいなんだけど……という人も多いかもしれませんが、再開発で文化的な転換点を迎えている今だからこそ、知ってもらいたい渋谷の音楽の歴史。

気鋭の音楽ジャーナリストである柴さんは、本書の執筆を通じて、渋谷の音楽の「これまで」と「これから」をどのように捉えたのでしょうか。ライターは当サイトではおなじみの根岸達朗が担当します。

渋谷をめぐる、音楽の50年史

「柴さん、今日はよろしくお願いします。早速ですが、音楽にあまり詳しくない読者に向けて『渋谷音楽図鑑』がどういう本なのか、というのを簡単に教えてもらえますか?」

「はい、この本は牧村憲一さんという日本のポップスの黎明期からたくさんの音楽を世に送り出してきた伝説的プロデューサーの半世紀を振り返りつつ、僕を含めた三人の著者が渋谷のポップスへの愛を未来につなげるということを意図してつくった本です。

『ポップスの教科書』を目指してつくったので、著者のひとりである音楽プロデューサー・藤井丈司さんによる重要楽曲の楽譜付き解析もあるんですよ。これ一冊を読み込んだら、渋谷のポップスは結構いいところまでわかるんじゃないでしょうか」

「なるほど。渋谷の音楽というと、フリッパーズ・ギター(小山田圭吾・小沢健二)やピチカート・ファイブ(小西康陽・野宮真貴)などに代表される90年代の『渋谷系』ブームを思い出す人はとても多そうですね」

「多いと思います。本書でも『渋谷系』は大きなモチーフのひとつです。でも、渋谷にはそれ以前に、はっぴいえんどやシュガー・ベイブなど、脈々と続いてきたポップスの歴史があります。

本書の語り部である音楽プロデューサーの牧村さんは、そういう日本のポップスの黎明期を知る“生き字引”のような人。その牧村さんが言うには、渋谷のポップスの歴史は、1964年の東京オリンピック前後から始まっているというわけです」

「東京オリンピック。その当時の渋谷にあったことというと」

「はい、大規模な都市開発ですね。渋谷川や宇田川といった川を埋め立てて暗渠(あんきょ)にしたことによって、渋谷の街並みが大きく変わったんです。それによってさまざまな商業施設が建てられるようになり、文化の発信拠点としての歴史がそこから始まっていきました。

でも、70年代初頭の時点では、まだまだ渋谷は音楽の街どころか、若者文化の街ですらありませんでした。むしろ文化の中心は新宿。渋谷は、サラリーマンが郊外に帰るために乗り換える、何の変哲もないターミナル駅だったんです。今でいう品川みたいな感じだったと思ってもらえればいいでしょう」

「普通のビジネス街だったということですね」

「そうそう。その勢力図が大きく変わるきっかけになったのが、西武流通グループが73年にオープンさせた渋谷パルコです。公園通りにこのパルコができたことで、その周辺に渋谷ジァン・ジァンという音楽や演劇などができる文化施設も生まれました。それによって、これまで新宿で活動していたような人たちが、渋谷でも活動するという流れが生まれていくんですね」

「渋谷に『場』ができたことによって、人が集まり始めたと」

「それと大体ときを同じくして、道玄坂の方ではBYGというロック喫茶もできました。近くにあったヤマハ渋谷店などはミュージシャンたちのたまり場にもなっていましたし、多くのミュージシャンがそうして渋谷でライブをしたり、レコーディングをしたり、さまざまなかたちで街と関わりを持っていきます。ざっくりいえば、それが60〜70年代ですね」

「ふむふむ。では80年代は?」

「80年代になると、宇田川町のエリアが盛り上がっていきますね。タワーレコード渋谷店が宇田川町にできたり、その周辺にマニアックな音楽を扱う小さなレコードショップもたくさんできました。その当時、イギリスの音楽レーベル『ラフ・トレード』に影響を受けてネオアコと呼ばれるような音楽を始めた人たちがいて、それが90年代の『渋谷系』にもつながっていくんです」

「渋谷系」とは何か?

「なるほど、勉強になります。そういう脈々とつながる系譜のなかに『渋谷系』という一地点があるということですよね」

「そうですね。そもそも『渋谷系』のブームというのは、そういう名前が付いていますけれど、もともとはHMV渋谷店にいた太田浩さんという名物バイヤーによるリコメンドなんですよ。その人が当時リコメンドしていた音楽が、結果的に「渋谷系」と呼ばれるような音楽になりました

「へえ、そうだったんですね」

「『渋谷系』という言葉は、人によっていろんな捉え方がされます。でも結局、そのカルチャーに関わっていた人が口をそろえるのは、その太田さんがつくった棚に並んでいるような音楽、なんですよね。その太田さんのリコメンドのセンスがキャッチーだったからみんながそれに注目したんです。文化の発展に場の力は欠かせないけれど、それをつくるのはいつの時代もある種のセンスを持った人なんだなと」

「なるほど。センスが何かというのはとても興味深いなあと思うのですが、結果としてその人の好みがみんなにうまく伝わった、ということなんでしょうね。伝え方のセンスがあったというか」

「センスを持った人というのは、おそらくどの街にもいるんでしょうね。たとえば、秋葉原にはオタクカルチャー的なセレクトをできる人たちがいたおかげで、2000年代にあれだけメイドカフェなどが盛り上がったわけですから」

「確かに。そうでしたね」

「ただ、渋谷というのはそういった意味では、ほかの街にはない文化的な蓄積はあると思います。だから、音楽に感度を張っている人間も不思議と集まってくるんでしょう。音楽雑誌の編集部とか、今でいえば、カルチャー系ウェブメディアの編集部も渋谷に多いのはそういうことなのかなという気はしています」

「60年代から積み重ねてきたものがあるわけですもんね」

「そうです。あと、文化を発信するということでいえば、今はWWWWWW Xというふたつのライブハウスには注目していますね。なぜかというと、これらの箱にポップス・ロック分野で先鋭的であろうとするアーティストたちが集まっている現状があるからです。

アーティスト自身がそこを演奏場所として選んでいるし、ライブハウスもまたそうしたアーティストを自分たちの箱の色として積極的に押し上げていこうとしているように見えます。ムーブメントを生み出したかつての『渋谷系』のリコメンドと、ある意味では同じ構造といえるのかもしれませんね」

「住む」「泊まる」から生まれる文化

「音楽って、その土地に関わる人や場所などと密接に結びついているという点で、そもそもがとてもローカル的な成り立ちをしたものなんだと思うんです。そうしてみんなに親しまれるものである以上は、これからもずっと続いていくものであってほしいですし、街の文化としての音楽をもう一度捉え直す時期にもなっているのかもしれないと思うのですが、そのあたり柴さんはどう考えますか?」

「そうですね。それでいうと、僕は『住む』ことがさらに豊かな文化を生み出してくれるんじゃないかと期待しているんです。というのも以前、渋谷区長の長谷部健さんがインタビューで『クリエイティブやエンターテインメントを増やすための整備が備えられればいい』と言っていて。

たとえば、ライブハウスやクラブ、コンサートホール、ダンススタジオ、クリエイターが入居するオフィス、そこにさらに住居を一体型にしたような建物ができたら、とてもよさそうじゃないですか?」

「はい、実現できるならとてもおもしろそうです」

「これまで渋谷というのは、外からやってきた人が何らかの表現をするステージのような場所になっていました。でも、これからは渋谷に住んで、渋谷とともに生きる人が、渋谷をステージに文化をつくったらいいと思います

「楽しみですね。まさにローカル的だなあ」

「あとは街に『泊まる』ことができる環境が増えるだけでも、ずいぶん違ってくるとは思います。たとえば、大阪にある『Shangri-La』というライブハウスは、二階部分がツアーでやってくるミュージシャンが泊まれるゲストハウスになっているんです」

「へえ、それはミュージシャンにとってはありがたい環境ですね」

「そう。ミュージシャンはライブを終えてそこで打ち上げをして寝られるわけですから、体の負担が少なくてとてもいい。しかも、そこには音楽好きの一般客なども泊まるので、みんなで一緒にお酒を飲んだりして、自然と交流も生まれていくわけです。ライブハウスという文化施設に『泊まる』機能を加えることで、コミュニケーションのかたちは進化するんです

「おもしろいです。渋谷にもそういう場所ができたら、逆に地方からもミュージシャンがやって来やすくなりそうです」

「うん。そういうゲストハウスみたいなものであれば渋谷でもできることだと思いますし、誰かつくってくれないかなって勝手に期待しているんです(笑)。それができたら、未来に向けたすごい種まきにもなりますから」

文化をつくるのは「たまり場」

「未来に向けた動きという点では、現在渋谷駅周辺は再開発の真っ只中ですよね。それが文化に与える影響もあると思うんですが、そのあたりはどのように考えていますか?」

「たとえば昨年できた渋谷キャストは『クリエイターの活動拠点』というコンセプトを掲げていて好感を持っています。再開発というのはいろんな意見があるものですが、僕は基本的におもしろいことだと思っていて

「それはどういう理由からですか?」

「街に関わる人の流れが変わるからです。それによって今までの定番とは違う新しいスポットだったり、新しいお店だったりというものが、存在感を出しやすくなります。音楽文化に関わる人間としては、先ほどの「泊まれるライブハウス」ではないですが、街のなかに音楽好きが集まるような『たまり場』がもっとできたらとてもいいなと思っています」

「ああ、いいですね。何気なく遊びに行ったら、誰か知ってる人がいて、なんでもない話ができるみたいな。そういう場所が存在感を増すことになったら、どんなことが起こると思いますか?」

「文化が生まれると思います。これは『渋谷音楽図鑑』にも書いたことなのですが、牧村さんからたくさんの話を聞いて思ったのは、結局、文化をつくるのは『たまり場』であるということなんです。渋谷にはロック喫茶やレコードショップ、ライブハウス、あるいは大学や専門学校といった『たまり場』になれる場所が昔はたくさんあって、それがこの街の音楽文化を育んできました。

今はインターネットで情報収集ができる時代だけれど、それだけではなくてリアルで人がつながる。たむろって、『最近、調子どう?』とか『最近、何の音楽聞いてるの? なんかいいのあった?』なんて無駄話をする。そういう『たまり場』が、やっぱり街には必要なんだと思います」

渋谷のポップス50年史を詰め込んだ『渋谷音楽図鑑』の振り返りから、著書のなかでも言及されているこれからの渋谷の音楽文化についてまで、広く話が及んだ今回のインタビュー。

ひとことに音楽とはいっても、その背景には都市があり、社会があり、時代がある。そして、あらゆる音楽は何らかの系譜の上に地続きでつながっている。それはこれからも続いていくし、続くものであり続けてほしいという三人の音楽愛が結晶しているのが、この『渋谷音楽図鑑』という本なのだと感じました。

これからどんな音楽がこの渋谷という街から生まれてくるのか。そんなことを考えながら、なんとなく気持ちがワクワクしている今日この頃です。

それではまた!

書いた人

書いた人:根岸達朗(ねぎし・たつろう)
1981年生まれのライター。文章を書いて生きています。東京・多摩地域在住。
Twitter:@onceagain74/note:https://note.mu/tatsuronegishi

写真:小野 奈那子(おの・ななこ)
http://nanakoono.com/

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