映画解説者・中井圭の「今宵は渋谷で映画でも?」vol.41 地獄の刑務所を生き抜く『暁に祈れ』

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本コラムでは、「映画をもっと知りたくなる」をテーマに、渋谷で観ることができる作品をご紹介します。41回目は、2018年12月8日(土)公開の映画『暁に祈れ』です。本作は、ヒューマントラストシネマ渋谷でご覧いただけます。

地獄の刑務所を生き抜く男

タイを舞台にムエタイを使う男の物語というと、映画ファンがまず思い浮かべるのは、トニー・ジャーでしょう。

ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジェット・リーなどと続いていくアジアのアクションスターの系譜に名を連ねている、トニー・ジャー。タイのジャッキー・チェンと呼ばれたパンナー・リットグライの弟子として、世界的なアクションスターへと成長しました。

しかし、今回ご紹介する『暁に祈れ』は、トニー・ジャーは出てきません。さらに、トニー・ジャーが主演したムエタイアクション映画『マッハ!』のような、常軌を逸したアクション映画でもありません。

では、一体どんな映画で、何を観るべき作品なのか。それをご紹介します。

(c)2017 – Meridian Entertainment – Senorita Films SAS

本作は、タイの刑務所に収監されたイギリス人ボクサーのビリー・ムーアの身に起きた実話を映画化したものです。タイで活動するうちにクスリに溺れてボロボロの状態で警察に捕まり、タイの刑務所に収容されます。

彼が収監された刑務所は、殺しやレイプなどが日常茶飯事のまさに現世の地獄のような場所。危険な状況に追い込まれていく中、この地獄を抜け出し生き延びるために、彼は刑務所内のムエタイクラブに入るのです。

(c)2017 – Meridian Entertainment – Senorita Films SAS

本作は、襲いかかってくる相手をムエタイ技でぶちのめして地獄のような刑務所で頂点を目指す、といった単純な物語ではありません(そういうのも嫌い、どころか好きですが)。

むしろ、ムエタイシーンはそこまで多くはありません。それよりも、本作が見せるのは、極悪な囚人たちや悪質な刑務官に支配された刑務所の実態、ビリーが抱えている弱さとその中で芽生える愛、そして葛藤しながらも己に克とうと這い上がっていく人間の成長です。

ムエタイによるアクションは、本作においては手段でしかありません。この作品の本質は、地の底まで堕ちてしまった男が絶望の淵から人間性を取り戻す、再生のドラマなのです。

(c)2017 – Meridian Entertainment – Senorita Films SAS

注目すべきは、ビリーの目線に観客の視点を合わせる演出でしょう。イギリス人であるビリーはタイ語がわかりません。本作ではタイ語に字幕をつけない表現を取ることによって、地獄のような環境に頼るものもなくひとり身を置いた外国人としての恐怖を掻き立てます。

さらにカメラも孤独かつ身の危険が迫ったビリーに寄り添うようなアプローチを取ります。これらの演出によって、観客にビリーが味わった地獄を追体験させているのです。

(c)2017 – Meridian Entertainment – Senorita Films SAS

すべての神経が締め上げられるような極限の状況から、ビリーはどのように生き抜いてきたのか。それはアクション映画として敵対する相手を叩きのめすような爽快感とは全く違います。

観客は、恐怖と危機的状況に際して人間の生存本能を掻き立てられ、普段感じたことのないアドレナリンがじわじわと染み出す感覚を、ビリー同様に味わうことになります。

(c)2017 – Meridian Entertainment – Senorita Films SAS

日々厳しいと言いつつも、何もかもが整えられて快適な日々を暮らす我々に、一歩道を踏み外せばすぐそばに地獄があることを見せつける本作。ボディに入ったムエタイの膝蹴りのように、体の芯まで響くような重い一撃を加えてきます。

そして、本作からは極限まで追い込まれた先にある微かな光を掴もうとする人間の強さも感じることができるでしょう。今を生きる渋谷の若者にこそ是非ご覧いただきたい一本です。

(c)2017 – Meridian Entertainment – Senorita Films SAS

▼Information
『暁に祈れ』
http://www.transformer.co.jp/m/APBD/
12月8日(土)ヒューマントラストシネマ渋谷&有楽町、シネマート新宿ほか全国順次公開

▼中井圭 プロフィール
兵庫県出身。映画解説者。WOWOW「映画工房」ニコ生公式「ぷらすと by Paravi」「シネマのミカタ」TOKYO FM「TOKYO FM WORLD」などに出演中。「CUT」「STUDIO VOICE」「POPLETA」「Numero TOKYO」「観ずに死ねるか」シリーズなどで映画評を寄稿。東京国際映画祭や映画トークイベントに登壇し、映画解説を展開。面白い人に面白い映画を観てもらって作品認知度を高めるプロジェクト「映画の天才」や物事に関心のある人を増やすPJ「偶然の学校」などを主催。

◆vol.40 「世界の塚本」に畏怖する『斬、』
◆vol.39抑圧を生きる男女の物語『生きてるだけで、愛。』
◆vol.38 痛い系女子の成長物語『マイ・プレシャス・リスト』

※記事の内容は公開時点の情報です。価格等の情報については変更している可能性がありますのでご了承ください。
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