映画解説者・中井圭の「今宵は渋谷で映画でも?」vol.56 両親を訴える少年が伝える現実『存在のない子供たち』

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本コラムでは、「映画をもっと知りたくなる」をテーマに、渋谷で観ることができる作品をご紹介します。56回目は、7月20日(土)公開の映画『存在のない子供たち』です。本作は、ヒューマントラストシネマ渋谷でご覧いただけます。

映画で知る、世界の過酷な現実

比較的、平穏な日本で暮らす私たちが、世界の過酷な現実を理解することはなかなか難しい。起こっていることを事実として理解できても、イメージがついていかないのがその理由の一つでしょう。

しかし、そういう時こそ、映画は機能します。視覚と聴覚に具体性をともなって訴求し、物語の力で人の心に届けることができます。

世界の逼迫した現実を実感的に伝える作品といえば、近年ではブリランテ・メンドーサ監督の『ローサは密告された』や長谷井浩紀監督の『ブランカとギター弾き』などがそれに当たるでしょう。そして今、過酷な現実を深い情感を持って我々の心に突き刺す新たな作品が登場しました。それが『存在のない子供たち』です。

本作の主人公は、レバノンで貧困にあえぐ家庭に生まれた少年ゼイン。彼が裁判に臨むシーンから本作は始まります。わずか12歳の彼が訴える相手は、驚くべきことに自分の両親。しかも訴えた理由は、彼を勝手に産んだ罪。

この、我々の常識では理解しかねる衝撃的な導入から、本作がただならぬものであることが伝わります。彼を取り巻くのは、壮絶な日常。親が貧困から彼の出生届を出さなかったことでIDを得られず、誕生日はおろかその存在さえも認められないゼイン。人としての本来あるべき基本的な権利を失っています。

その上、彼は貧困から抜け出すための大切な手段である学校に通うこともできず、日々、家族の生活維持のために強制的に働かされています。それに加えて、まだ11歳の妹が一家の住むアパートの大家に目を付けられ、事あるごとに結婚を迫られる状況。大切な妹をどうにか守ろうとするも、幼い彼の立場には過酷すぎる現実が押し寄せてくるのです。

本作で彼が直面する事態は、我々の想像をはるかに超えています。彼はこの地獄から抜け出そうともがきますが、レバノンが構造的に抱えた深い闇には全く歯が立ちません。手持ちカメラが揺れる画面の中、親にすら頼れず、妹を守ろうと必死に生きる彼を見つめる観客は、臨場感あふれる彼の絶望と、それを見つめる自分自身の無力を実感し、祈るような気持ちでこの壮絶な物語の行く末を見守ることになります。

気がついたら物語に没入してしまうリアルな本作ですが、実はほとんど役者が起用されていません。プロの俳優ではなく、あえて物語にリンクする境遇を背負った素人を抜擢しています。本作は、単純な演技の上手さよりも、彼らが抱えるありのままの感情を投影することを重視しています。このアプローチが物語に現実的な表現の強さを与えているのです。

本作は、レバノンの貧困問題だけを描くわけではありません。救いを求めて彷徨うひとりの少年の動向を通じて、レバノンが抱えるもうひとつの社会課題である移民問題も浮き彫りにしているのです。

本作を監督したのは、ナディーン・ラバキー。彼女は、長編監督デビュー作である『キャラメル』を監督して世界的に高い評価を得ました。レバノン人である彼女が描いた本作のレバノンの姿は、3年にも渡る徹底的なリサーチにより明らかにされた、極めてシリアスで生々しいものです。

映画で描くべきテーマを選択し、作品を通じて世界を変えようとする彼女の志の高さは、苦しむ人々が置かれた環境の切実さと直結して、他の作品にはない強靭さを獲得しました。

レバノンを舞台にした作品と言えば、レバノン人とパレスチナ難民の対立を描いた『判決、ふたつの希望』も心を揺さぶる傑作でした。映画は社会の課題を浮かび上がらせて、世界へと知らせる力があります。ここ数年、レバノンから立て続けに苛烈で強靭な傑作が生まれるのは、語られるべき課題がこの国に存在するからでしょう。その悲痛な叫びは、映画へと形を変えて世界へと発信されます。

笑って泣ける娯楽映画は素晴らしい。しかし、決して楽観視できない社会を現実的に投影した作品もまた、今を生きる人間として心に焼き付けたいもの。本作を観終われば、スクリーンの中に佇む、存在を認められない子供たちの表情を忘れることができなくなるでしょう。この現実を見過ごすことができなくなるでしょう。それこそが、映画の果たす機能のひとつなのです。

▼Information
『存在のない子供たち』
http://sonzai-movie.jp/
7月20日(土)よりシネスイッチ銀座、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国公開

▼中井圭 プロフィール
兵庫県出身。映画解説者。WOWOW「映画工房」「ぷらすと」「シネマのミカタ」TOKYO FM「LOVE CONNECTION」などに出演中。「CUT」「STUDIO VOICE」「POPLETA」「Numero TOKYO」「観ずに死ねるか」シリーズなどで映画評を寄稿。東京国際映画祭や映画トークイベントに登壇し、映画解説を展開。面白い人に面白い映画を観てもらって作品認知度を高めるプロジェクト「映画の天才」や物事に関心のある人を増やすPJ「偶然の学校」などを主催。

◆vol.55 人生の折り返し、夢の始まり『シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢』
◆vol.54 ダメ人間と自由について『町田くんの世界』
◆vol.53 映画新時代の幕開け『アベンジャーズ/エンドゲーム』

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