友人と自撮りをしたり、“映え”を狙って風景や話題のフードを撮ったり。
今や「写真」は、気軽に思い出を残すことができるごく身近なツールです。
写真が大衆に普及したのは、19世末にコダック社がロールフィルムを開発して、現像を業者に委託できるようになってから。アート分野でも「芸術写真」が出現しますが、絵画や彫刻などと比べて、写真は現実を模倣する”技術”と考えられていました。
戦前の写真家として有名なマン・レイも、自身を画家と称し、写真はあくまで“収入を得るための方便”としていました。しかし、彼が撮影したポートレート、ファッション写真、そしてシュルレアリスム的芸術は、高く評価され、当時も今も、多くの人の心を捉えてきました。
そんなマン・レイの創作の源泉は、彼に関わった“ミューズ”たちです。そんな彼女たちにフォーカスした展覧会『マン・レイと女性たち』が、2021年7月13日(火)にBunkamuraザ・ミュージアムで開幕しました。
女性たちとの出会いを通して生まれた写真や、絵画、オブジェなど250点を超える作品から、マン・レイとミューズの特別な関係性を読み解きます。
本展は、マン・レイが芸術家として歩み始めたニューヨーク時代、シュルレアリストとして創作活動に打ち込んだパリ時代、戦禍を逃れて移住したハリウッド時代、そして再訪した2度目のパリ時代、の4つの時代で章立てています。
写真家マン・レイのイメージが強い人は、まず彼が手がけた作品のバリエーションの豊かさに驚くことでしょう。ニューヨーク・ダダ時代から晩年まで、絵画だけでなく、コラージュ、オブジェ、芸術写真など、彼の創作活動は多彩です。
ニューヨークでマルセル・デュシャンと出会ったマン・レイは、ダダイズムに参加しました。ダダイズムは、第一次世界大戦を経験した芸術家たちが西欧の旧体制、そして伝統的な芸術の美学に反発した文学・芸術活動です。しかし、多くの謎かけを含んだ作品はアメリカでは評価されず、マン・レイはパリ行きを決心しました。
パリに渡ってからは、すでに作品に用いていた「写真」を通じて、シュルレアリスムの運動に貢献します。創作活動だけでなく、シュルレアリスムのメンバーのポートレートを広報用に撮影していました。本展に展示されたピカソやダリなど、著名人たちのポートレートを一度は見たことがあるのではないでしょうか。
マン・レイはシュルレアリスムでの創作活動において、写真を「現実の模倣」から脱却しようと試みます。超現実的な表現のために、彼が好んだ手法が「レイヨグラフ」と「ソラリゼーション」です。
パリの社交界を通じて、写真家としての才能を開花させていったマン・レイ。当時のモード界のドン、ポール・ポワレのオートクチュールの撮影をきっかけに、モード界とつながります。『ヴォーグ』などの高級モード誌などには、シュルレアリストの作品としてマン・レイの写真が掲載され、モード界に新風を吹き込みました。
誌面では、生身のモデルを上半身マネキンかのように捉えた、超現実的な表現も試みていました。しかし、商業的な仕事に抵抗があったマン・レイは、やがてモード界から手を引きます。
乗り気ではなかったとはいえ、マン・レイのファッション写真は、ため息が漏れるような美しさです。シルバープリントながら、モデルの陶器のような肌質や衣装のきらめき、ジュエリーの荘厳さなどありありと伝わってきます。
マン・レイは多くの人と出会い、写真や作品にその姿を残してきました。中でもミューズたちは彼の作品に欠かせない存在です。作品脇の解説から、それぞれのモデルの人物象がわかります。
もちろん女性たちはその魅力的な容姿から被写体に選ばれましたが、マン・レイの愛情もあってか、作品からは彼女たちのまとう雰囲気、性格、個性など、言葉以上の情報を感じ取ることができます。勝手ながら、作品から一部のミューズたちの印象を想像してみました。
その人の魅力を鋭く嗅ぎつけ、最大限に画面に映し出すのは、写真家マン・レイの特殊能力のように思えます。マン・レイはどんな相手でも、ひとりひとりと、個人対個人の対等な関係性を築き、そこから相手の人間性を感じ取っていたのです。
芸術作品でも同じです。《アングルのヴァイオリン》は、キキの美しい裸体から連想したドミニカ・アングルの名作を基に、《ヴァルパンソンの浴女》(1808年)に見立てて撮影したものです。
写真の被写体になるのを嫌がっていたキキですが、撮影時は緊張もせず、レンズの前で自身を平静に保ちながら、マン・レイが生み出す世界観に寄り添っています。この“つん”とした表情が、柔和なボディラインと相まって、神秘的な、凛とした空気を漂わせているのです。
女性の美というのは、肢体のしなやかさ、肉や肌のやわらかさにも宿ります。マン・レイは恋人や友人をモデルにヌード写真を撮影していますが、いずれもエロティックな印象はありません。より、シュルレアリスム的な、超現実的表現に注力しています。
喉元の筋肉や鎖骨が浮き上がった《解剖学》や、不可思議なポーズの桃尻を写した《祈り》は裸体を部分的に切り取った作品ですが、なにか深い意味を込められたのではないかと想像してしまいます。実際は意味なんてないのかもしれません。しかしそのミステリアスな空気感と造形美に魅入られます。
《エロティックにヴェールをまとう(メレット・オッペンハイム)》の構図も、作為的に、理論的に裸体と機械を組み合わせたのではなく、すべて偶発的に掛け合わさったものです。
「ちょっとそこに立ってみようか、いいね!これでいこう!」とマン・レイが当時言っていたかはわかりません。しかし胸を締め付けられるような、“痙攣的な美しさ”が、偶然に、でも運命的に生まれたのは間違いないでしょう。
マン・レイは、生身の人間として女性たちと相対して対等な関係を築き、その人間的、個性的な魅力を見抜いて、写真に焼き付けました。また一方で、カメラという客観的、かつ機械的な目を通すことで、女性たちを芸術のモティーフとして捉え、現実から切り離し、シュルレアリスム芸術に昇華しました。
写真家としてのジレンマはあったと言われていますが、マン・レイの直観的な閃きはカメラとの相性が良かったことは疑いようがありません。
マン・レイは戦禍から逃れるためにハリウッドに渡った後、人間への興味から自発的にポートレートを撮影することがあっても、“依頼による撮影はやめる”と宣言しました。
制作においては技術よりもアイディア(着想)が第一だと発言していたマン・レイ。オリジナル1点に価値がある伝統芸術への反骨精神からか、自身の作品の再制作や、「複製(レプリカ)」、「量産(マルティプル)」の販売を始めます。
メトロノームに女性の目をつけた《永続するモティーフ》も再制作と複製が行われました。1作目は1923年に完成しましたが、1932年にリー・ミラーの目に付け替えられて《破壊されるべきオブジェ》として再制作。その後1957年の個展で本当に破壊!されたので、今度は《破壊できないオブジェ》として6点、1965年には追加で100点制作しました。
“永続するモティーフ”として再制作されたのは、ミューズも同じです。
晩年に限定出版された版画集『時を超えた貴婦人たちのバラード』には、かつて出会った女性たちと同じ名前の女性が登場します。しかし、中には似ても似つかない人も。もしかしたら、版画に登場する女性たちは、かつての女性本人ではなく、永続するモティーフに再制作されたミューズかもしれません。
いずれ作品は時が経てば傷んできます。しかし、モティーフとなれば写真、絵画、オブジェなどジャンルを超えて生まれかわり、永遠に増殖していくことができます。
マン・レイは、大勢の魅力的な肖像写真を世に残しましたが、ミューズたちは彼にとって特別な存在です。彼の人生に彩りを添え、芸術活動を豊かにしました。いつでも彼女たちと対面し、制作できるようにモティーフに昇華したのではないでしょうか。
本展では、そんなマン・レイのミューズたちに向けられた好奇心と深い愛情を感じることができます。写真だけでない、彼の多彩な芸術活動の魅力を、ぜひBunkamura ザ・ミュージアムで見届けてください。
【2021年7月15日時点】
※最新の情報はBunkamura HPをご確認ください。
【マン・レイと女性たち】※日時予約制
URL:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_manray/
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
http://www.bunkamura.co.jp/museum/
開催期間:9/6(月)まで開催中
※7/20(火)のみ休館
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は20:00まで(入館は19:30まで)
※展覧会概要のほか、内容は変更になる可能性もございますので最新情報はBunkamura HPまでご確認ください。
※記事の内容は公開時点の情報です。価格等の情報については変更している可能性がありますのでご了承ください。