もしもタイムトラベルができるとしたら。
マンモスを見に行きたい、織田信長に会いに行きたいなど。SF じみた空想ながら、ひとたび考えると行ってみたい場所や時代は多くあります。アート好きであれば、多くの芸術家が集まる19世紀後半から20世紀初頭の「芸術の都」を訪れてみたいと思うのではないでしょうか。
19世紀後半、産業革命を経て、知事オスマンによる都市整備計画が完了し、急速に近代化した首都パリ。渋沢栄一が訪れて衝撃を受けたとされる「第2回パリ万国博覧会」もこの頃に開催されています。
アートにおいては、モネ、ルノワールが中心となった「印象派」がフランス美術界のアカデミズムに対抗する形で生まれました。その後、パリでは「ポスト印象派」、「フォーヴィスム」、「キュビスム」といった活動のもと、絵画的実験が行われていき、人々は芸術の奥深さと自由度を思い知らされることとなります。
そんな時代の絵画にフォーカスした展覧会『ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス』が、2021年9月18日(火)にBunkamuraザ・ミュージアムで開幕しました。本展に集結した28人の画家たちの目に、当時のパリとフランスはどのように映ったのでしょうか。彼らにとって「甘美なるフランス」とはどんなものなのか、探ってみましょう。
仕事を求めてやってきた労働者で人口が増えた19世紀後半のパリ。富裕層は週末に、できたばかりの鉄道に乗って、郊外に小旅行をしていました。そんな新たな生活様式に加え、チューブ状の絵具が開発されて戸外制作が可能になった背景もあり、当時の画家たちは目の前の“風景”を題材として扱っています。
印象派の巨匠クロード・モネは、発展する都市に対する人々の心情を風景とともに描き出しました。印象派の特徴は、原色に近い絵具を細かなタッチで画面にのせる「筆触分割」という技法にあります。アカデミーで重視される輪郭、デッサン、遠近法よりも、うつろいゆく光や対象がまとう空気感をとらえようとしたのです。
《サン=ラザール駅の線路》では自然豊かな郊外へと気軽に出かけられる鉄道という“恩恵”を素早く生き生きとしたタッチでポジティブに表現。一方で、《花咲く堤、アルジャントゥイユ》では遠景の工場と近景のダリアを対比し、だんだんと失われていく自然に想いを馳せているようです。
続くポスト印象派では、フィンセント・ファン・ゴッホが《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》で、多くの画家を惹き付けた南フランスを描いていました。
明るい陽射しと豊かな自然に囲まれた南仏のアルル地方に刺激を受けたゴッホは、色彩を自由にあやつることで、新たな表現を探究します。水面や空の鮮やかな青に対して橋と土手の黄色、草に対しては赤というように補色を差し込むことで、色の対比が生む大胆な表現に挑んだのです。
印象派、ポスト印象派には(ゴッホのような例外もいますが)、フランスで生まれ育った画家が多く参加しています。自分たちの記憶に眠る風景と目前に広がる光景を対峙させ、変わりゆくものも変わらないものも、等しく新鮮なまなざしで見つめたのではないでしょうか。絵画は視覚に訴える芸術ですが、画面に込められた空気感は湿った草のにおい、乾いた風の心地よさ、木陰の静けさなど、さまざまな感覚を私たちに想起させてくれます。
風景以外に時代を映す鏡として、女性のファッションが挙げられます。織機や紡績機の改良、縫製技術の進歩などによってファッションが産業化し、市民でも購入できる既製服、そしてオートクチュールが誕生しました。仕立屋の息子で、モデルのファッションにもこだわりを見せたのは、ピエール・オーギュスト・ルノワールです。
ルノワールは印象派の技法に限界を感じ、イタリアでの古典美術にヒントを得ながら、独自の画風を確立させます。画面から光を放つような明るい色彩とやわらかなタッチで描かれた女性たちに見惚れる人も多いでしょう。《レースの帽子の少女》が着ている、いわば“映える”デイ・ドレスは《髪かざり》でも用いられ、いかにルノワールが自身の画風を最大限活かす小物を重視していたかがわかります。
20世紀にはいると、ポール・ポワレがハイ・ウェストドレスを発表し、女性たちは窮屈なコルセットから解放されます。その後、第一次世界大戦で出征した男性たちの代わりに働く女性たちのために、ココ・シャネルがジャージー素材の服をデザイン。女性のファッションはより活動的なものへと変化し、パリを中心に世界へ広がっていったのです。
アメデオ・モディリアーニが描いた女性《ルネ》もおかっぱ頭にネクタイと、当時流行していた「ギャルソンヌ・スタイル」をしています。ルノワールの明るい画面とは一転、シックな色合いは戦時中ということも関係しているのでしょうか。
一方で同時期に登場した「フォーヴィスム」において、現実の色の再現や色彩論にこだわらない新たな色彩の表現への挑戦が始まりました。
フォーヴィスムの立役者であるアンリ・マティスは《襟巻の女》で現実の背景を一切消して、女性のスカートと同じ格子模様を描き、青と黄でリズミカルに2分割しています(もしかしたらスカートの柄を背景に合わせたのかもしれません)。人体が簡略化して描かれているものの、女性の服は現代のものに近いように見えます。服自体に大きな装飾はありませんが、自然な身体のラインを出し、帽子となびくスカーフでアクセントを加えた清楚な格好です。
昔から女性は絵画によく登場していますが、モデル自身を描くというよりは画家のミューズとして、美の象徴的存在として描かれる傾向がありました。しかし近代に入り、社会情勢の変化に伴って女性たちの意識が変革していくと、モデル自身の個性がフォーカスされていきます。これまでとは違う女性の存在は、時代と共に変わりゆくファッションとも相まって、画家たちに多くのインスピレーションを与えたようです。
本展では、当時の女性たちが夢中になっただろう香水瓶などの化粧道具が、イメージに合う作品と並んで展示されています。絵画の世界から飛び出てきたかのような美しい化粧道具たちは、平面の女性たちのまとう空気をより立体的に匂い立たせるようです。
第一次世界大戦以降、パブロ・ピカソやモディリアーニ、マルク・シャガールのようにフランスへ移住してきた外国人の画家たちを多数まじえた「エコール・ド・パリ(パリ派)」が、近代ヨーロッパ美術の豊かさの基礎とも言うべき百花繚乱をパリに出現させます。カフェで喧々諤々と芸術論を語り合い、ナイトクラブやキャバレーで夜な夜な騒ぐ「狂騒の時代」とも呼ばれた時代です。
しかし生粋のパリジャンであるモーリス・ユトリロが当時描いたパリの風景は、どこか寂しげです。
大賑わいのモンパルナスとは違って、乾いた印象のモンマルトル。曇り空に覆われ、できたばかりのサクレ=クール寺院へ続くシャップ通りは人手もまばらです。しかしユトリロは生まれ育ったモンマルトルの丘に住み、描き続けました。彼にとってこの寂しげな街も、人の心を癒す「甘美なるフランス」といえるでしょう。
私たち日本人が華やかなフランスの文化や街に憧れるように、「パリ派」は芸術の都で才能を開花させることを夢見ていました。シャガールも自身の創作に欠かせないものとして、戦禍から逃れながらも、母国よりもフランスを終の住処に選んだほどです。
一方、フランス出身の画家たちはどうでしょう。
そもそも「甘美なフランス(la douce France)」は古くから使われている表現で、11世紀後半のフランス最古の叙情詩『ローランの歌』でも多用されています。叙情詩ではフランス国の素晴らしさを称え、祖国愛を謡っています。
フランスを内側から見続け、近代化の功罪どちらも肌で体感した彼らは、美的価値とは程遠い無骨な工場に注目し、郊外での日常風景を特別な場面として切り出していきます。風景も生活も意識も変革していく中で、自分たちが描くべき主題として取り上げたのは、ありのままのフランスの姿でした。変貌していく母国、目の前に繰り広げられる人々の生活には、かつてない芸術的価値を秘めていたのです。彼らにとって、飾らないフランスのあるがままの姿が“甘美なる“ものなのでしょう。
本展「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」を構成するのは、オルセー美術館、オランジュリー美術館にも引けを取らない、ポーラ美術館が所蔵する珠玉のコレクションです。タイムトラベルは叶わなくとも、28人の画家の目を通して見るフランスの景色をぜひ渋谷で堪能ください。
※最新の情報はBunkamura HPをご確認ください。
【ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス】※日時予約制(一部日程)
URL:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_pola/
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
http://www.bunkamura.co.jp/museum/
開催期間:11/23(火・祝)まで開催中
*9/28(火)、10/26(火)は休館
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
※会期中すべての土日祝日および11月15日(月)〜11月23日(火・祝)はオンラインによる入場日時予約は必要となります。
※展覧会概要のほか、内容は変更になる可能性もございますので最新情報はBunkamura HPまでご確認ください。
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